小豆島 二十四の瞳「平和の群像」
NO.20
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栄は香川県小豆島に10人兄弟姉妹の五女として生まれました。母は孤児を引き取り育てていたので、大家族の中で育ちました。栄が10歳の時、実家が破産したため、師範学校への進学を断念します。家計を助けるため、父の仕事を手伝いました。この仕事は大変な重労働でした。15歳からは郵便局の事務員として働きますが、局長が倒れたため一人で局の仕事をこなしました。度重なる重労働は栄の体を蝕み、脊椎カリエスを引き起こしました。その後、壷井繁治と出会い、結婚しますが、プロレタリア運動をしていた夫の逮捕や入獄、そして宮本百合子らとの出会いが栄を成長させ、作家への道を切り開きました。
過労や疲労、栄養不足や寝不足は元々、体の弱かった栄を苦しめ、調子のよい時はわずかしかなかったようです。特に喘息には生涯悩まされました。発作で緊急入院することもたびたびあり、病室でも執筆を続けていました。発作が起きると自分でステロイドを町の薬局から購入して、連用したこともあるようです。そのため、晩年には慢性肝炎、糖尿病、心臓病などを患っていました。
愛情深く、温かな目で日常を細やかに描いた栄の作品は、多くの人に読まれ、映画化もされました。最後に残した「みんな なかよく」という言葉は栄の人柄そのものだったようです。
参考図書
「わたしの愛した子どもたち 二十四の瞳・壷井栄物語」 滝 いく子 平文社
「作家の自伝55 壷井栄」 壷井栄 日本図書センター
「人間臨終図鑑3」 山田風太郎 徳間書店
小豆島 二十四の瞳「平和の群像」
JP23DI00118