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国内インスリンの歴史 第9回 平安~江戸時代の糖尿病研究における日本人活躍のいしずえ

日本におけるインスリン製剤や糖尿病治療の歴史について、知られざるエピソードを交えてお届けする全10回の連載シリーズです。第9回は、わが国で平安時代から江戸時代にかけて書かれた糖尿病に関する書物とその見解についてご紹介します。

糖尿病に関する知見や書物

糖尿病の典型的な症状は太古から存在し、紀元前1000年前後の古代インド医学や、西暦紀元前後の中国における古典医学書の「金匱要略方論 (きんきようりゃくほうろん)」でそれらしい症状が記されています。

その症状とは、のどの喝き、多飲、多尿、飢餓、やせ、神経炎から起こるしびれ、眼症状、陰萎、尿の甘味などです。しかし、これらの症状は完全に揃うことが少なく、全体的な病像として見ることが難しいため、糖尿病は正体不明で捉えどころのない病気と考えられてきました。

日本で糖尿病について記された書物は、中国から伝わったさまざまな種類の医書を引用したものがほとんどです。江戸時代に糖尿病の概念がはっきりと分かるまでは、それら書物をもとに、有識者の知見が更新され受け継がれてきました。

糖尿病が排尿障害の1つと考えられていた平安時代

平安時代に、糖尿病を疑うような排尿障害を起こす病気について記された書物が2つあります。

1つは日本で最初の国語辞典とされる「和名類聚抄 (わみょうるいじゅしょう)」 (950年頃) で、もう1つはわが国の医書である「医心方 (いしんほう)」 (982) です。

前者では淋病や痟渇 (しょうかつ) など、後者では小便病として消渇、内消、淋、石淋などの語句があげられています。

ここで「淋」というのは、現代の淋菌による性病とは全く関係ありません。その説明は「小便出少起数」すなわち「たびたび小便をするために便所へ行くがそれ程でない」と書かれています。したがって、糖尿病も排尿異常を主訴とする一連の病気として捉えられていたことは確かでしょう。

平易な和文で消渇の説明がなされた鎌倉時代

鎌倉時代の梶原性全による「万安方 (まんあんぽう)」 (1315~1327) でも糖尿病の症状が記されていますが、なぜか尿糖による記載はありません。しかし、引用元となった中国の「外台秘要 (げだいひよう)」 (752) では、尿糖について確かに記されていました。これに書かれた消渇の症状である多飲、多尿、尿糖は明らかに現在の糖尿病であると言えるでしょう。

一方で、同時代に同じく梶原性全による医書「頓医抄 (とんいしょう)」 (1302~1304) では、消渇、内消、飲水などの諸病とともに消渇は「口が渇いて湯水を飲み、多尿で小便は甘く白い」と分かりやすい説明があります。

この尿糖の有無について訳述するときに、意図的に省いたのか記載漏れだったのかは分かりませんが、日本における複数の医書で江戸時代後期に入るまで尿糖の記載はなかったのが事実です。

糖尿病の定義がはっきりした江戸時代中期

江戸時代前期に書かれた症例を解説する「病名彙解 (びょうめいいかい)」 (1686) では消渇を「俗に云カハキノ病ナリ云々」と記し、のどの渇きや多飲、多尿、癰 (はれもの) のできやすいといった症状で記されています。

さらに江戸時代中期に入り、香川修徳によって書かれた「一本堂行余医言」 (1778) では糖尿病の定義がかなりはっきりとし、その症状も詳しく観察されるようになりました。それまでの消渇で示される症状に加え、糖尿病を示す熱中や肺消、消中などの呼称も合わせて記されています。

これらの「消」とは、古今の医家が消渇と称するものです。修徳の考えによると、消は胃の中が乾燥するため水を飲んでも乾きが止まずに食べても飢餓は続き、摂った飲食物は身体の栄養にならないどころか痩せ衰えて皮膚も乾燥してしまう。さらに尿は白っぽく甘い味と甜気をなして、一度この病気にかかると治るのは100人中2~3人だけであると書かれています。

これらは部分的に突飛な記載はあるものの、眼症状や陰萎になりやすいといった重症糖尿病の予後不良な面も含んでおり、かなり現在の糖尿病に近い概念と言えるでしょう。

ヨーロッパの医学を取り入れた江戸時代後期

江戸時代後期に入って杉田玄白らにより「解体新書」が1774年に出版されると、急速に日本へヨーロッパの医学が広まりました。その中で小森桃塢による「蘭方枢機 (らんぽうすうき)」 (1817) の原著では、糖尿病における尿糖の詳細に加え、治療法として疲労しない程度に毎日運動しなければならないとも記されています。これはまさに、今日の糖尿病治療に通じる部分です。

そしてこの頃、緒方洪庵が訳した「扶氏経験遺訓 (ふしけいけんいくん)」に尿崩の症状が述べられ、蜜尿検査が初めて登場しました。

わが国における糖尿病は江戸時代中期まで、排尿異常に基づく腎や膀胱に関する病気と考えられてきました。ここに外国からの医書や症例から得た知見を積み重ねて、明治時代に糖尿病と訳されます。この頃から日本で検尿法が診断の一助となり始めますが、糖の定性法そのものは明治以前にも存在していました。

こうした数々の書物や知見の更新が土台となり、明治以降における日本人の糖尿病研究による文献数は10,000を超えて世界の舞台で活躍しているのです。


【参考文献】

Diabetes Journal編集員会 編、『日本における糖尿病の歴史』山之内製薬株式会社1994年、442-446p、452p

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