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インスピレーショナルストーリー

ブライアン カムストラ選手

予想外の進路のほうが素晴らしい
 

 

チーム ノボ ノルディスクで5度目のシーズンを過ごすブライアン カムストラ選手は、クロスカントリーの元国内チャンピオンで、2011年には欧州選手権にも出場したオランダ人です。19歳のときに1型糖尿病と診断された後、どのように人生の新しい道を歩んできたのか、カムストラ選手にインタビューをしました。

 

2020年はあなたにとってどんな年でしたか?

間違いなく、ほかの年より良い年でした。

私はサイクリングに関してはまだ新米です。2015年に始めたばかりで、プロになったのもその年です。2014年にはまだトラック走者でしたから、実はサイクリングのスタートはとても遅いのです。

毎年自転車に乗って鍛え、超耐久スポーツに体が慣れてきました。1500mを4分足らずで走っていた自分の体にとって、プロのサイクリングは大きな変化です。サイクリングに転向してから体重が10キロ増えましたが、脂肪ではなく筋肉です。脚はランナーだったときの2倍の太さになっています。

今年はより安定し、レースによっては、さほどきつく感じなくなりました。実際、アタックすることもできました。ツール・ド・スロバキアではアタックやブレイクアウェイができて上出来でしたし、アタック後も先頭集団に残ることができました。シーズン最後のレースであるパリ〜ツールもなかなかのものでした。残り40キロのところで40人の先頭集団にいましたが、機会を逃して脱落し、後ろの集団にまじってゴールインしました。

普段の私ならこれらのレースを完走するだけで御の字ですが、先頭集団に入ることができたのですから。今年は大きなターニングポイントになって嬉しいです。

 

キャリアの弾みがつき始めた、ちょうどその年にレースがほとんどなくてがっかりしましたか?

ええ、そのとおりです。ロックダウンの後にレースが再開したときは調子が上がっていましたが、すぐまたレースができなくなりました。シーズン終盤に向けて最高のコンディションでレースに臨めそうな感じだったのですが。ただ幸い、しばらく休んだ後に自転車に乗っても、体の調子はさほど落ちていないようですから、すぐ戻れるでしょう。

 

ツール・ド・ポローニュで完走しなかったのはなぜですか?

200キロ余りの長いステージで、さほど暑くないオランダからポーランドへ行ったものですから、とても暑さを感じていました。レースでは十分水分を摂取しているつもりでしたが、電解質が十分ではなかったようです。極度の脱水症状に陥ったため、第3ステージに入って90キロを過ぎたところでリタイアの判断が下されました。

4リットルもの水と電解質を摂りましたが、翌朝になってもトイレに行きませんでした。いい教訓になりました。炭水化物のほかに電解質も猛暑には必要ということが分かりました。

 

糖尿病と耐久スポーツでできることの限界について、チームが理解を深めるきっかけになったのですね。

ええ。レース後のミーティングでコーチのクリスティーナ スクローチェに質問されました「電解質は摂ったの?」「どれくらい暑かった?」「何本飲んだの?」と。良い勉強になりました。

 

世界のトップレベルでレースをしていますから、学ぶことも多いかと思います。人にインスピレーションを与える活動にやりがいは感じていますか?

故郷にいるときは学校で講演し、糖尿病について子供たちに教えています。それが一番楽しい時間です。

ノボ ノルディスク ベルギー主催のイベントもいくつか行いました。「クライミング・フォー・ライフ」というイベントは2年連続で開催しました。去年はイタリアのステルヴィオで行い、イベントの目標は、1型糖尿病や2型糖尿病とともに生きるサイクリストがステルヴィオの頂上に到達することでした。私も一緒に頂上を目指しましたが、彼らはたくさんの質問をしてくれました。彼らからはシーズン中にも連絡があり、私の調子をたずねてくれます。私が質問に答えたことに感謝してくれているようです。それが彼らの希望になっているのだと思います。

イベントは義務感からやっているのではなく、一生の友だちができるので、自らすすんで参加しています。ときには彼らからも教わることもあります。お互いに学びあっているのです。

 

予想外の進路に感謝しているのですね。

オリンピックの1500m選手になることがずっと夢でした。そして糖尿病と診断され、スポーツを切り替えました。チームが私を見出し契約してくれました。私はこれまで、ツール・ド・フランスで自転車競技をすることを夢見る人間ではありませんでした。12歳のときは世界一のランナーになりたかったですから。でも今は違います。今でも陸上競技用トラックに行くと、「もしも・・・」という気持ちが胸をよぎりますが、この予想外の進路のほうが素晴らしいです。

 

診断はすぐ受け入れることができましたか?19歳の診断はほかのチームメイトに比べてかなり遅いですよね。

当時は高いレベルで走っていました。2012年から2013年のシーズンは台無しになりました。何か変だと分かっていましたが、トレーニングのしすぎだろうと考えていました。私は自分の年齢層では最高のランナーで、全国チャンピオンでもありましたが、しばらくすると、表彰台に一度も立ったことがない人たちに追い越されていきました。何かおかしいなと思いました。

血液検査を受けましたが、最初は血糖異常が見つかりませんでした。医師はどこも悪くないと言いました。しばらくたって別の検査を受けました。翌朝、医師から電話があって、「糖尿病です」と言われました。そこで「糖尿病とは?」というキーワードをグーグルで検索を始めました。

私を診断した医師は正直で、「糖尿病とスポーツのことは何も知らないから自分で調べてください」と言いました。もしもチームメイトに尋ねたら、彼らの9割が医師に「糖尿病を持ちながらサイクリングはできないからやめなさい」と言われたと答えるでしょう。しかし私にとっては、糖尿病とスポーツの関係については詳しくないから自分で調べなさいと言った医師の言葉が最良のアドバイスになりました。医師が「知らない」と言うなんておかしいなと思いましたが、その正直さには感心しています。好きなスポーツを続けられたのですから、腹を立てるなんてことはありませんでした。

 

※この内容は、2020年12月21日にチームノボ ノルディスクのウェブサイトへ掲載された記事の翻訳版です。

 

TNN


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