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インスピレーショナルストーリー

サム ブランド選手

サム ブランド選手のインタビュー
 

 

チーム ノボ ノルディスクにおけるサム ブランド選手のキャリアは、エリートトライアスロンチームの一員としてスタートしました。ITU世界選手権出場資格取得後の2013年にチーム ノボ ノルディスクに注目され、翌シーズンからチームのプログラムに加わりました。今回のインタビューでは、彼が大学卒業まで夢を先送りにした後、チャンスが再び到来したことについて語ってもらいました。

 

2020年はあなたにとってどんな年でしたか?

自転車の2020年シーズンは順調でした。ロックダウン期間を有効活用しました。サイクリングは2016年に始めたばかりですから、普段はそんな機会は得られませんが、ロックダウン期間中に特別なトレーニングに集中して遅れを取り戻しました。

ツール・ド・リムーザンの中級スプリント競技では表彰台に上りました。この競技とツール・ド・ポローニュではブレイクアウェイにいました。2019年には基礎を固めることができました。

 

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具体的にはどんなトレーニングをしましたか?

サイクリングの世界に入った私の素質はそれなりにあったと思います常に標準的な力は出せます。ただ、今回はロックダウン期間を利用して、よりスキルの微調整に力を注ぐことができました。通常なら4月から6月はレースに次ぐレースで、トレーニングの手応えを感じることはできませんが、今年は何もかも休業状態でしたから、5~10分で出しきれる力をつけることに取り組みました。集中的にやって、トレーニングの手応えを感じ取ることができました。通常のレースではレース展開に従って走りますが、トレーニングでは意識的に走れます。自分がどこまで耐えられるのか、何に集中するべきなのかが見えてきました。

 

今年は自転車から離れてどうでしたか?

色々ありました。マン島ではロックダウンは部分的で、外出制限はなかったので、その時間を有効に使いました。いつもより家族と過ごす時間が増えました。でも、シーズン後半に向けてそれは厳しくなりました。6月末に家を離れて11月の初めまで戻らなかったので、長い間離れていました。チームメイトがステイホームしていたときには、私は隔離期間で家には戻れませんでした。大変でしたが、レースのために払う犠牲ですね。チームのために、また、糖尿病とともに生きる人々を元気づけ、治療に積極的に取り組み、それぞれの人生の目標に向けて生きていくことを応援するというミッションのためにベストを尽くしたかったので、家を離れているのはつらかったですが、この仕事が大好きです。

 

そのようなプロのアスリートが払う犠牲を小さな犠牲だと思いますか?

小さいとは思いませんが、それも仕事の一部です。ロックダウン期間中の3月に私の兄夫婦に初めての子供が生まれたのですが、一緒にいられず残念でした。ただ、そのような犠牲は仕事の一部ですから、悲観していません。ですから、「犠牲」という言葉はあまり好きではありません。何か他のもののために何かを諦めるような響きがありますから。とても短いキャリアですから、できるだけ充実させたいと願うばかりです。犠牲は小さくはありませんが、仕方ないことです。

糖尿病の診断を受けることが人生の「終わり」ではないということを証明する機会を与えてくれるこの仕事とチーム ノボ ノルディスクでの活動は、とても素晴らしいことです。

 

チームは自分たちのストーリーを共有して人々に感動を与えることができる素晴らしいプラットフォームなのですね。チームの一員であるのは特別なことでしょうか?

子供のころは同じ境遇で尊敬できる人がいませんでした。ヒーローになりたいわけではなく、自分が置かれた状況を伝えることが、人のためになれば良いなと思っています。私たちがしているのですから、誰でも自分のやりたいことができるのだということを知ってもらいたいのです。もちろんプロのサイクリストではなく医者になりたい人もいるでしょう。ただ、プロのサイクリストが1型糖尿病を持ちながらもできることを世界に示している姿を見て、前向きな姿勢と自信を持ってもらいたいのです。毎日1人でもいいので私たちを見て考え方が変わってくれればいいなと思っています。

 

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糖尿病はただの宣伝文句でしょうと言われたらどうしますか?自分の信念を証明できますか?

糖尿病は私に起きた出来事の中で最良の出来事です。これはただの宣伝ではありません。10歳のときに診断を受け、私はともて早く成長しました。ルーティンを作り、物事を整理するのに役立てました。15歳か16歳のときには、既に自分のルーティンを持つ30歳のようでした!人生の積み木のようなものがあるとしたら、早い時期に自分を組み立てたのです。人として成長し、自分の体で起きていることを理解することができました。

つまりこれは、サイクリストとして、自分の体がいつ何をしているか、どう反応するのかが分かるということです。これができるようになったのは、かなり早い段階でのことでした。糖尿病は私に、家族と、コミュニティと、他の人を助けるというミッションを与えてくれました。とても素晴らしいことです。毎日が楽にすんなりいくわけではありませんが、糖尿病は管理できるものですし、私は人助けをすることが好きです。それが私のやりたいことです。

 

どのようにトライアスロンからサイクリングに転向しましたか?

トライアスロンは大学に通っていた2012年に始めました。それ以前はフットボールやランニングをやっていました。マン島学校のクロスカントリーチャンピオンには2度連続でなりました。大学に通っていたときに、自分で作ったルーティンをトライアスロンに役立てることを決めました。トライアスロンの経験は子供のときに何回かありましたし、世界年齢階級別選手権に出場する父を見て育ったので、スポーツは常に身近なものでした。サイクリングに挑戦したことはありませんでしたが、大学に通っていたときに「どこまでできるのかやってみよう」と思いました。

最初の12~14カ月の間にロンドンで行われた世界年齢階級別選手権でイギリス代表に選ばれました。そのレースを終え、チーム ノボ ノルディスクのタグを付けた投稿をアップしました。チーム ノボ ノルディスクにトライアスロンの組織があることを知っていたからです。そして2014年に入団を申し込んだところ、育成チームに誘われました。4年制大学の3年目を終えたところで、もしも今退学したら両親に大目玉を食らうであろうことを分かっていました。そのとき諦め延期したことで、再びチャンスが得られなかったとしたら、ひどく後悔したでしょう。しかし幸運にも、私は翌年に英国トライアスロン選手権で2位になり、チーム ノボ ノルディスクのタレントIDキャンプに参加することができました。「自分はトライアスロンチームにいるからサポートに行くだけだ」と思っていたのですが、チームへ招待するというメールが1カ月後に届きました。そして私は新卒で働いていたイギリスでの仕事を辞め、2016年1月1日からサイクリストとしてのキャリアをスタートしました。それが、本格的に私が自転車に乗った最初の日です。

 

辞めてチームにチャンスを賭ける決心は簡単でしたか?

当時はトライアスロン選手としてコモンウェルス競技大会に行きたいと思っていました。しかし好きなだけトレーニングできる正規の就学期間は終わり、再び自由にトレーニングできるようにするには、向こう数年間は自分で資金を負担しなければなりません。それには、チームはとてもいい組織でしたし、最終的にプロチームに入る力が自分には備わっていると思っていました。自分を信じ、プロのアスリートになることを常に願っていました。子供のころはアスリートになるのが夢で、フットボールが中心でしたが、サイクリングを見ながら成長し、常にスポーツに関わってきました。

 

これまでのキャリアで最高の瞬間はいつですか?

2018年の初め、プロチームに加わった自分にとって最初のフルシーズンが記憶に残っています。自分にとって最初のワールドツアーレース「アブダビツアー」に出場しました。それからイタリアで1日限りのレースに出場し、休養のため帰宅したところ、「2週間以内にミラノ〜サンレモに行くから、トレーニングは止めるなよ」というメールがチームから届きました。プロとして2つのレースに出場し、更にミラノ〜サンレモに出場すると言われたわけですから、夢のような瞬間でした。自転車レースをしたことがない人間が22カ月足らずで最長のクラシックレース「ミラノ〜サンレモ」に参戦できるのですから!

 

この先行き不透明な時期に夢を見るのは難しいと思いますが、2021年の抱負をお聞かせください。

表彰台に上がりたいです。ステージで勝利してチームメイトをサポートしたいです。全てのプロサイクリストが望むものは何でも手に入れたいです。ようやくレースに慣れてきました。私たちはチームとして自転車に乗る以外にも得るものがたくさんありますが、自分たちがチャリティで宣伝活動をするチームではなく、競い合って結果を出すために存在しているのだということを証明したいです。それが私の目標であり夢です。レースに勝ちたいです。

 

※この内容は、2020年12月21日にチームノボ ノルディスクのウェブサイトへ掲載された記事の翻訳版です。

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