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選手紹介

マンディ マルクワット選手

マンディ マルクワット
Mandy Marquardt
出身地: 米国ペンシルバニア州トレクレルタウン
1型糖尿病発症: 16歳
「オリンピックに出場するという夢と糖尿病とともに生きる人々へ希望や勇気を与えていくことが、自転車競技で戦うときに、アスリートとして常にベストな自分になろう、という想いを奮い立たせてくれる」

 

自転車トラック競技界のスーパースターであり、米国ナショナルチームにも所属しているマンディ マルクワット選手は東京オリンピックに照準を合わせています。16歳で1型糖尿病と診断された彼女は、米国、そしてチーム ノボ ノルディスクの代表として、オリンピック選手になり、糖尿病を持つ人たちを勇気づけるという夢を追いかけています。

マルクワット選手は1型糖尿病と診断される以前から自転車競技をはじめていました。競技をはじめた年には、2つの米国ジュニア ナショナルチャンピオンシップで優勝を納めています。2006年には、ヨーロッパでのレース経験を積むために父親とともにドイツへと渡り、2007年8月、Baden-Württemberg State Teamというチームを作りました。チーム発足から間もない頃に、ドイツ ジュニアナショナルトラックチャンピオシップで銅メダルを獲得しました。

2007年11月、VO2 maxテストを受け、血液検査を行った際に血糖値が上がっていることがわかりました。2週間の入院の間、運動も出来ず、様々な臓器が正常に機能しているか多くの検査を受けました。

とても不安に感じていたところ、医師から、今後はトップレベルのレースを続けることはできないと告げられました。

マルクワット選手は、必ず自転車競技へ復帰することを決意しました。競技へ復帰するために、医師や両親と密に協力して糖尿病をコントロールするための情報や方法を学んでいきました。2008年11月、マルクワット選手はドイツ ジュニアナショナルトラックチャンピオンシップの500mタイムトライアルへ、糖尿病を持つ選手として初めて参戦しました。そして、再度、銅メダルを獲得し、糖尿病であっても充分に戦えること、結果を出せることを証明しました。

2014年、マルクワット選手はペンシルバニア州立リーハイバレー大学を卒業し、経営マネジメントとマーケティングの学士号を取得しました。卒業後、マルクワット選手は自転車の道へ進むことを決め、夢を叶えるために大学でコーチングの職に就きました。その後、彼女は複数のUCIトラック競技のワールドカップの米国代表となっています。

2016年、マルクワット選手は米国のトラック競技のオリンピック強化選手に入っていました。2年にも渡るオリンピック出場権をかけたプロセスを経て、マルクワット選手は国際的なレース経験を積むことができましたが、米国の女子トラック競技選手はオリンピック出場権を得ることができませんでした。

マルクワット選手のこれまでの代表的な成績には下記のようなものがあります。

15回もの米国ナショナルチャンピオン、2度の米国ナショナルレコード(2016年 500mタイムトライアル、チームスプリント)、Pan American Track優勝(2017年 チームスプリント)、三度のPan American Track メダル獲得(2016年 チーム スプリント 銅メダル、2017年 ケイリン 銀メダル、500mタイムトライアル 銅メダル、2018年 チーム スプリント 銀メダル)、2018年のUSAサイクリングワールドチャンピオンシップでのチームメンバー、また、2014年より米国のワールドカップチームメンバーとなっています。

27歳のオリンピック出場が期待されるマルクワット選手は、ペンシルバニア州アレンタウンに住んでいますが、カリフォルニア州カーソンにあるヴェロスポーツセンターにおいてトレーニングを行っています。ペンシルバニア州にいる際には、マルクワット選手はEdge Cyclingチームとともにトレーニングを行い、同チームのコーチであるアンドリュー ハリス氏に指導を受けています。また、ペンシルバニア州リーハイバレー大学同窓会の理事会の委員を務め、街にいるときは大学のコミュニティイベントをサポートしています。 マルクワット選手はペンシルバニア州リーハイバレーのサイクリングコーチを務めてはいますが、オリンピアンになるための挑戦を優先させています。

糖尿病に関するQ&A

診断をされた時のことを教えてください。

乳酸性作業閾値と血液検査を行いました。すぐに私の血糖値が高いことを告げられて、そのまま病院へ行き診断を受けました。

はじめはどのように感じましたか。

はじめはとてもショックで受入れ難いと感じました。糖尿病のことはほとんど知らなかったので、どうやってコントロールをすれば良いのか、どのように自転車競技を続ければ良いのかと混乱しました。

家族や友達、アスリートの友人らはどのような反応でしたか。

私はとてもアクティブだったのでとても驚いていました。それでも、みんな1型糖尿病のことを知ろうとしてくれましたし、とてもサポートをしてくれました。

自転車競技選手としての道は断たれたと思いましたか。周りの人や医療従事者は何と言っていましたか。

病院では、医師にこれまでのようにトップレベルで競技を行うことはできないだろうと言われました。しかし、私は糖尿病をコントロールする方法を学んだのち、自分自身の人生をコントロールできることを証明しようと決心しました。私は自転車競技が大好きで、私の人生の大部分を占めます。何であろうと私から競技生活を奪わせはしません。

糖尿病とともに自転車競技をすることはどのようなものでしたか。どのように調整をしましたか。

調整にはとても苦労しました。ですが、医療従事者と密に連携をして、血糖値をモニタリングし、どのような種類の食事がどのように血糖値へ影響を及ぼすのかを学んでいきました。試行錯誤の連続でしたが、しばらくすると、自分にとって最善の方法がわかってきました。

 

 

スポーツに関するQ&A

どのようなきっかけで自転車トラック競技をはじめたのですか。

父がアクティブなサイクリストでした。また、私がランニングと水泳が大好きだったこと、そしてトライアスロンにも興味があったので、両親がフロリダ州のトラック競技場に連れて行ってくれました。そこが初めてトラックでの自転車の乗り方を覚えた場所です。

いつから競技を始めましたか。

10歳の頃です。

アスリートとして成し遂げたものの中で、最も大きなものは何ですか。

4回 ナショナルチャンピオンシップでの優勝(ロードバイクとトラック競技)、5回 フロリダ州のトラックチャンピオンになったこと、2回 大学生ナショナルチャンピオンシップで優勝したことです。

レースや競技をしている中で一番の思い出はなんですか。

たくさんありますが、自分自身の期待値を超えられたとき、さまざまなスキルを学んだり、向上できたりしたときです。

チーム ノボ ノルディスクへの加入

チーム ノボ ノルディスクにはどのように入ったのですか。

チームの選手が私とチーム監督とを引き合わせてくれました。

チームに入ってどのように人生が変わりましたか。(アスリートとしてまた個人として)

レースや練習で自分のベストを尽くすためには、糖尿病をきちんと管理しなくてはいけないということをより理解することができました。

他の糖尿病を持つアスリートと一緒にレースをすることで、糖尿病と共に生き、競技をする意味について前向きになりました。



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