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アレクサンダー グラハム ベル (1847~1922)

NO.9

ベルはスコットランドのエジンバラで生まれ、その後、両親と共にカナダに移住し、1882年には米国国民になりました。ベルと言えば、最初の米国特許を取得した電話の発明(1876年)が有名です。母と妻は耳が不自由だったため、ベルは発明家としてだけでなく、耳の不自由な人たち(特に子供)の教育にも熱心に取り組みました。幼少のヘレン ケラーとアニー サリバン先生が出会うきっかけにも、ベルが関与していますし、ヘレン ケラーとは生涯の友人でした。

大食漢で体重が100キロを超えていたベルは、60代で糖尿病と診断されました。孫と香ばしいにおいの漂うパン屋の前を通りかかり、「おばあちゃんにはないしょだよ」と、二人でこっそりアップルパイを食べて帰ったエピソードもあり、時々食事や砂糖の制限を無視して、家族を心配させたようです。もっとも、夕食の進まない孫の様子を見て、秘密のおやつはすぐに見破られてしまったようです。

ベルが糖尿病と診断された1915年当時、まだインスリンは発見されておらず、糖尿病は命を脅かす病気でした。叔父も同じ病気で亡くなっていましたが、ベルのモットーは「戦い続けよ」だったそうです。

1922年8月4日午後6時25分。電話の発明者の埋葬される時間に合わせて、米国の電話サービスが1分間停止されました。インスリンの発見がもう少し早かったら、ベルの発明がもうひとつ増えていたかもしれません。

 

 

カナダ ケープ ブレトン島にあるグラハム ベル博物館

監修 内潟 安子 [ 創刊によせて ]
東京女子医科大学
東医療センター 病院長

編集協力
岩﨑 直子、尾形 真規子、北野 滋彦、中神 朋子、馬場園 哲也、廣瀬 晶、福嶋 はるみ、三浦 順之助、柳澤 慶香
(東京女子医科大学糖尿病センター)
アイウエオ順

 

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