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ジャコモ プッチーニ (1858~1924)

NO.7

プッチーニはイタリア中部ルッカで生まれた作曲家です。栗色の巻き毛に茶灰色の瞳、長身でハンサムの上、おしゃれなプッチーニは、典型的なイタリアのモテ男だったようです。

初期の代表作は「マノン・レスコー」。その他「ラ・ボエーム」、「トスカ」、「蝶々夫人」など数々のオペラを作曲しました。1903年、蝶々夫人の制作途中に自動車事故に遭い、大腿骨骨折という大きなけがを負いました。そして、このけがの治療中に糖尿病を宣告され、生涯この病と付き合うことになります。

伊達男のプッチーニも、後年は肥満になってきました。また、50歳前後になると「老い」が彼を悩ませ始めます。恵まれた容姿を維持したいと願ったのでしょうか?「若返りの手術」まで本気で考えたという逸話が残っています。もっとも、この手術は実行されませんでしたが、友人のひとりはプッチーニが糖尿病でさえなければ確実に手術を受けていたはずだと語っています。

1924年、喉の痛みを訴え、咽頭がんが判明しました。ベルギー ブリュッセルの病院で、当時の先端医療であるX線治療を受け、続く手術後、心臓麻痺を起こし帰らぬ人となりました。そばには未完のまま「トゥーランドット」の「愛の二重唱」の楽譜が残されていたそうです。

 

 

ルッカにあるプッチーニ像

監修 内潟 安子 [ 創刊によせて ]
東京女子医科大学
東医療センター 病院長

編集協力
岩﨑 直子、尾形 真規子、北野 滋彦、中神 朋子、馬場園 哲也、廣瀬 晶、福嶋 はるみ、三浦 順之助、柳澤 慶香
(東京女子医科大学糖尿病センター)
アイウエオ順

 

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